toohiiのお一人様がいい

おそらくソリタリーのぼくの雑記

夜のピクニック なんて“さはやか“な高校生活でございましょう

小説のご紹介をします。

恩田陸さんの『夜のピクニック』です。

この小説は第二回(2005年)の本屋大賞受賞作品です。

 

 

本屋大賞というのは、「新刊を扱う書店(オンライン書店を含む)の書店員」の

投票によってノミネート作品及び受賞作品が決定される文学賞です。

 

文学賞といえば、芥川賞直木賞が有名ですが、

作家さんの中にはその二つよりも、本屋大賞を受賞したいと思っている方が

多くいらっしゃると聞いたことがあります。

 

自分のお店の店にぜひ置きたい。

ぜひ売りたい。

そう思ってもらっているといっていい賞ですから、その気持ちわかりますよね。

 

『蜂蜜と遠雷』を読んで感激して以来、恩田作品ばかり読むようになりましたが、

実はその作品でも本屋大賞を受賞しています。

まさかの二回目の受賞なのです。

だから恩田さんも、同じ賞が取れるはずがないと思っていたそうですよ。

 

では、『夜のピクニック』の内容を見ていきましょう。

 

鬼の行事だよ。歩行祭

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主人公たちが通う男女共学の進学校北高。

そこには他の高校には見られない伝統行事があります。

それは「歩行祭」。

 

朝の八時から翌朝の八時まで歩くという、教育の一環として行われるには

ひどすぎる、耳を疑ってしまうような行事です。

 

《学校側の意見)いやーーー。でもね、夜中には数時間の仮眠を挟みますから、

ひどいとはいえませんよ。

80キロですけど。

 

80キロ!!!

 

一日一万歩以上歩きましょう。それが現代人の目標です。

一万歩というのは、だいたい7キロなのだそうです。

 

一日の目標の10倍超えとるやないか。

何でそんなものが伝統行事として定着してるんだよっっっ。

歩行祭」っっって、祭じゃないわい。

苦行だわ。悪いことした人の罰だわ。

 

とぼくは思ってしまうのですが、登場人物たちは違うんですよ。

さすがは、進学校に通う優秀なお坊ちゃま、お嬢様です。

大部分の生徒が歩き通すことを最大の目標とするんです。

しかも、運動部となると全校生徒の中で何番目にゴールをしたのかという

順位にまでこだわるのです。

 

みんな、この「鬼の行事」に真剣に取り組むのです。

それは冒頭のシーンですぐにわかります。

バス、という言葉が不吉な言葉とされているのです。

というのも体の不調で歩くのが困難だとされると

救護バスというものに乗せられてしまうからです。

 

このバスにみんな乗りたくないのです。

 

楽でいいじゃん。

仮病使ってバスに乗ろう。

 

そうは考えないんですね。

 

ぼくが通った高校なら脱落者続出ですよ。救護バスぎゅうぎゅう詰め。

そもそも当日来ない。

 

進学校だからこそ、こんな行事成立するのかなと思ってしまいます。

 

(恩田さんの母校には「歩く会」という70キロ歩く名物行事があり、それをモデルとしているそうです。恩田さんは早稲田大学に行っていますから、この学校は進学校でしょうね)

 

(元外務省職員の佐藤優さんが通われた高校にも50キロを歩く行事があるそうです。

佐藤さんは勉強ができるでしょうから、やはり進学校でしょう)

 

 学校や教師が提供するものをしっかりと受け取り、自らの学びとろうとする姿勢のある子たちだからこその行事でしょうね。

 

主役の二人はなんと・・・。

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この物語の主役は二人います。

西脇融(にしわきとおる・男)。高校三年生。

甲田貴子(こうだたかこ・女)。高校三年生。

この二人。実は異母兄弟なんです。

そして、この事実は生徒も先生も知らないことです。

 

何故か。

どうして伏せられたままなのか・・・。

 

それはね。

 

西脇融の父親が、甲田貴子の母親と不倫して、

そのときにできたのが、甲田貴子なんです。

 

どちらもが、親の恥を抱えて生きていかなければならない運命です。

 

でも、そんな不都合な事実も離れて暮らしていれば誰にも知られることはないでしょう。

 

ところが。

ところがですよ。

 

二人は同じ高校に進学してしまうのです。

 

しかも。

しかもですよ・・・。

 

1,2年はよかったのですが、3年で同じクラスになってしまうのです。

先生も知らない事実なので、こういうことが起きてしまったのです。

 

気まずい・・・・・。

気まずい・・・・・ですよねえええ。

 

親がした恥で、二人はそれがバレないように注意をして

毎日ヒヤヒヤしながら過ごさなければならないのです。

 

当然。お互い意識します。

その不自然な様子に対してクラスメートたちは誤解をしてしまうのです。

 

本当は“好き同士じゃないの”・・・。と。

 

鬱陶しいですよねえええ。

 

特に西脇融が頭にきているのです。

そりゃそうですよ。

親の不倫の証が毎日教室にいるんですよ。

同じ学校に進学するからこういうことになるんだ。

別の学校へ行けばよかったじゃないか、と怒っているわけです。

そうすれば、こんな窮屈な毎日を過ごすこともない。

 

でも甲田貴子の立場からすれば、そんなことは知ったことではありません。

彼女に落ち度はないわけです。

どうして自分が遠慮しなければいけないのか。

どうして自分が西脇の怒りの対象になっているのか。

貴子の言い分もものすごくわかります。

 

さあ、この二人の関係はどうなるのでしょうか。

これが大きなテーマですね。

 

杏奈からの手紙

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貴子のもとへは10日ほど前に杏奈から葉書が来ていました。

杏奈は2年のときに同じクラスで仲良くしていた女の子です。

帰国子女の彼女は中3から高2までを日本で過ごしたのですが、

この春にまたアメリカに戻ってしまったのです。

 

彼女は、伝統行事である「歩行祭」をとても楽しんだ。

海外で暮らした経験が長いからこそ、日本的なシステムの理不尽にすら思える因習めいた伝統に、憧れを持ったのだろうと貴子は思っています。

 

葉書の内容も、「歩行祭」だけはもう一回参加したかったというもので、

だからこそその10日ほど前につくように投函したのでしょう。

 

でも葉書の最後の言葉の意味がわからない。

“たぶん、あたしも一緒に歩いてるよ。去年、おなじないを掛けといた。貴子たちの悩みが解決して、無事ゴールできるようにNYから祈ってます”

貴子はこの意味がわからないのです。

 

この意味がわかってくるところが、とてもおもしろいところですね。

 

この物語を自分の過去と照らし合わせることができる人は幸せでしょう。

そうでなくても、

こんな高校生活をしたかったと想いを馳せることができる人も幸せでしょう。

 

ぼくはそういう読み方はできませんでした。

斜めから冷めた気持ちで読んでしまった。

そういう読み方しかできない人もいるでしょう。

でも、大丈夫。

杏奈からの葉書の最後の言葉の意味が何なのか。

その真相。

これだけで読むに足る、おもしろさでした。

 

 佐藤優さんは絶賛している

gendai.ismedia.jp

 うるさがただと思われる(ぼくがそう思っているだけかもしれないが)

この方がこうやって記事にしています。

本当はこういう読み方ができるといいのでしょうね。

 

ホイじゃ、また。